無私
- AHYMSIN Japan
- 4月2日
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更新日:4月6日
スワミ・ラーマ著
座って静かに、自分がこれまでの人生で何をしてきたかを思いめぐらしなさい。なぜなら最後には、移行の時期に、自分自身と向き合わなければならないからです。あなたは満足できることを何かしてきましたか? 全く無私に―完全に無私に―何かをしたことはありますか?
人は自分の仕事をしてその実りを得て、そしてそれを蓄えます。このようなやり方では解放はありません。世の中にあるすべての悲惨さや混乱は、そのために起こっているのです。ある人は豊かさを持ち、別の人は一日に一度の食事すら満たされない。このような不均衡や苦しみは、私たち自身がつくり出しているものです。
隣の家が燃えているのに、どうして自分だけが平和でいられるでしょうか。自分は平和だと言いながら、その熱さすら感じないでいられるでしょうか。人生を悟る人は、命の広がりを波紋のように理解しています。私たちは、大いなる至福の海に広がるひとつひとつの波紋のような存在なのです。
あなたが苦しんでいるなら、私もまた苦しんでいます。たとえ自覚していなくても。どうして私だけが苦しみを逃れて生きられるでしょうか。片足が痛めば、全身が痛むのと同じことです。私たちは皆、一つの大いなるプラジャーパティ―すなわちこの宇宙そのもの―の手足なのです。自分だけが幸せに生きられるはずがありません。蓄えることではなく、与えることを学びましょう。誰に与えるのでしょうか?見知らぬ人ではありません。決して非現実的なことを言っているのではないのです。まずは、共に暮らす身近な人に与えるのです。
自分のためだけに働いてはいけません。それは真の人生の道ではありません。そのようにすれば、人は利己的になってしまうからです。人のために働くことを学びなさい。妻が夫のために、夫が妻のために働くことを学べば、二人は共に幸せになれるでしょう。問題は、二人がともに利己的になり、要求や期待ばかりをするようになったときに生じます。無私の道を歩むことを学びなさい。それこそが唯一の解放の道なのです。
互いに与えることを学びなさい。そうすれば、やがてその学びは全宇宙へと広がっていきます。ある日あなたは、全宇宙が自分の家族であり、自分もその一員であると実感するでしょう。
無私の道には、計り知れない喜びがあります。
無私こそが、愛のただひとつの表現なのです。
本記事は、スワミ・ラーマ著『The Essence of Spiritual Life: A Companion Guide for the Seeker』(Himalayan Institute Hospital Trust, 1996, p.48)からの抜粋であり、英語原文の内容に忠実に日本語へ翻訳したものです。


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