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ヴァースデーヴァの原理

更新日:4月9日

ヴァースデーヴァの原理(トロント、2004年)

公開:2018年6月20日|著者:スワミ・ヴェーダ・バーラティ


※本稿は、スワミ・ヴェーダ・バーラティによる英語講話をもとに、日本語に翻訳したものです。原文の趣旨と流れを尊重しつつ、日本語としての読みやすさと表現の調和に配慮して訳出しています。


『バガヴァッド・ギーター』には、「ヴァースデーヴァはすべてである(vasudeva sarvam)」と記されています。内に宿るその一者こそが、まさにすべてなのです。それは何かとの関係において存在するものでも、何かに条件づけられて成り立つものでもありません。では、「内に宿るもの」「内在する力」とは、何を意味するのでしょうか。「ヴァースデーヴァ」という語は、『バガヴァッド・ギーター』において「内在する神性」とも訳されます。この語は「ヴァス」と深く関わっています。「ヴァス」とは「あらゆる場所」を意味し、あらゆる場所が神性の宿る場であることを示しています。またヴァスは「ハンサ」、すなわち、あらゆる存在の中に遍く宿る宇宙的プラーナの白鳥でもあります。「ヴァス・マナ」は、『マハーバーラタ』に見られるシヴァの千の御名の一つでもあります。ヴァス・マナとは、「美しいマインド」、すなわち存在の中に光として宿るマインドのことです。ゆえにヴァスとは、美しく、光に満ち、内に宿る力を意味します。


あなたのマインドが、ヴァス・マナでありますように。この「私」という小さく個別化されたマインドではなく、宇宙全体のマインドと結び合うマインドとして。ひとつのマインドの波が、別のマインドの波と出会うとき、そこに連続性が生まれます。それが「エネルギー領域としてのマインド」と呼ばれるものです。この大いなる波の領域において、ひとつの波が別の波と触れ合い、やがて二つは一つとなっていきます。個としてのマインドが、宇宙的マインド、サマシュティ・チッタに触れるとき、時間と空間の感覚は静かに溶け去ります。そこには、「マインド」と呼ばれる領域を通して働く力があり、時間と空間を超えて、別の流れが生起します。


この原理の実践的な現れが、アヒンサー(非暴力)です。アヒンサーの実践を学ばないかぎり、宇宙的マインドとは何かを真に理解することはできません。非暴力を実践せずに、それを知ることはできません。ヒマラヤントラディションでは、誰かを傷つけ、誰かに対して怒りを抱くとき、あなたは同時に自らを傷つけているのだ、と教えられます。人が他者に害を与えるとき、それは自己への傷として現れ、その影響は宇宙的マインド全体へと広がっていきます。その宇宙的マインドの一部が、まさにあなた自身なのです。だからこそ、ヤマとニヤマの教えの中で、最初に置かれているのがアヒンサーなのです。


アヒンサーとは何でしょうか。まず、「サルヴァタ(Sarvata)」というサンスクリット語を知る必要があります。これは、「あらゆる可能な方法で」「あらゆる可能な様態において」という意味です。神の数ある御名の中で、その一つに「サルヴァム(Sarvam)」、すなわち「すべて」という御名があります。それは女神としての御名でもあります。その「すべて」は不可分であり、分割されることなく、分けられていません。私たちが経験するあらゆる分離の中にあっても、この「すべて」―サルヴァムは、満ちており、分かたれることなく、その本性において完全です。女神としてのその本性は常に完全であり、そしてそれが、あなたの真の本性なのです。


アヒンサーは、言葉・思考・行為のすべてに関わります。自ら行うこと、他者に行わせること、あるいは他者の暴力に対して言葉や沈黙によって同意すること、そのすべてが含まれます。「サルヴァタ」とは、あらゆる時に、あらゆる形で、誰かを傷つけようとする意図がある状態を指します。そのような意図を持たないこと、それがアヒンサーです。


十のヤマとニヤマのうち、アヒンサーに続く九つ、つまり、サティヤ、アステーヤ、ブラフマチャリヤ、アパリグラハ、シャウチャ、サントーシャ、タパス、スヴァーディヤーヤ、イーシュワラ・プラニダーナは、すべてこの最初のアヒンサーに根ざしています。これらはアヒンサーを完成へと導くためにあり、そのさまざまな側面を表しているに過ぎません。アヒンサーを完全なものとするために、これらすべてが必要とされるのです。


ですから、祈りや瞑想、静寂を通して心の平安を求めているとしても、その一方で絶えずヒンサー(暴力)を行っているなら、その平安はどこに見出されるのでしょうか。このゆえに、私は、ヨーガの実践としてのこれらのクリヤを、まずアヒンサーから、次にアパリグラハへと進めていくことを勧めます。


二つ目の実践(クリヤ)は、アパリグラハ、不執着、すなわちつかみ取らないこと、必要を超えて所有しないことです。アパリグラハの欠如こそが、多くのヒンサーを生み、種の大量の破壊を引き起こしています。欲望を縮小し、執着を手放すことを学びなさい。より少なく受け取り、より多く手放しなさい。アパリグラハとアヒンサーの実践を保ちなさい。


この二つ、アヒンサーとアパリグラハは密接に関連していますが、さらにここに、イーシュワラ・プラニダーナを加えるとよいでしょう。蝶の中に宿るイーシュワラとは何でしょうか。あなたがプラスチックや汚れで満たしてきた海や川に宿るイーシュワラとは何でしょうか。


シャワーを浴びるとき、手を洗うとき、その水がすでに減りつつあり、他者のための分が少なくなっていることを思い出しなさい。気づきなさい。あなたが間接的な暴力を行っていることに。私たちは多くの行為の中で、知らず知らずのうちに暴力を行っています。


より少ないもので、より深く味わうことを学びなさい。そうすれば、世界は守られていくでしょう。イーシュワラ・プラニダーナ、アパリグラハ、アヒンサー、これらはすべて深く結びついています。あなたがどれだけの水を使うか、そのあり方の中に、イーシャ、唯一の主への理解が映し出されるのです。


これらの実践は、心の姿勢を整えます。そして浄められたマインドには、静けさと満ち足りた感覚が訪れます。この心の鎮まりこそが、スピリチュアリティの本質であり、ダルマの本質であり、あなたを高め、マインドの多くの重荷を解き放つものです。


イーシュワラ・プラニダーナのもう一つの意味は、「主への明け渡し」です。この内に宿る主こそがイーシュワラであり、宇宙とその存在との関係において現れる神の側面です。ディヤーナとは、個としてのマインドを宇宙的意識へと委ね、溶け合わせていくことです。個我を神の臨在へと帰していくことです。


グル・パランパラとのつながりを学びなさい。そのとき、師の流れはあなたを引き上げ、導いてくれるでしょう。


グル、ヨーギーシュワラ、そして神なる主イーシュワラが、恩寵としてあなたにまなざしを向けるとき、それがイーシュワラ・プラニダーナです。信奉者の献身に応じて、神が応えるのです。それは、サマシュティ・チッタとイーシュワラ・プラニダーナの原理を通してのつながりを体験するときにのみ、理解されます。『マハーバーラタ』はこう伝えています。ただ想い起こすだけでよいのです。


どうか家に帰り、自らの人生を見つめてください。自らの選択を見直してください。世俗の生活を計画するように、精神的な人生もまた計画しなさい。


財政、仕事、住まい、車、子どもの教育、祭りの装い、それらを計画するように、精神的な歩みもまた計画するのです。


保険を計画するように、今後五年間でどれだけジャパを行うかを定めなさい。どれだけ暴力を減らしていくかを計画しなさい。祈りと瞑想の時間をどれだけ深めるかを定めなさい。あなたは必ず変化をもたらすことができます。真摯に取り組みなさい。


死の瞬間についても、あらかじめ思い描きなさい。次にどのような身体を望むのか、どのような環境に生まれたいのか。そのとき、どのような心持ちで、どのような微笑みをたたえているのか。最後の呼吸に、どのような満足があるのか。


今ここから、四十日、一年、五年という時間の中で、どのような精神的成長を遂げるのかを思い定めなさい。もし助けが必要であれば、私たちはともに歩むことができます。


毎月の満月の瞑想を、どうぞ大切に味わってください。ゆっくりと、しかし確かに、あなたの内に何かが芽生えていくでしょう。


それが、内在の原理、ヴァースデーヴァなのです。


(注:本稿は、2018年のAnnual Festival of Spiritual Peace(年次スピリチュアル平和祭)においてスワミ・リタヴァン・バーラティにより共有された講話をもとに、編集された内容の和訳です。)

 
 
 

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